ホテルのレストランではもっぱら山下の話で会話がはずみました。私は鈴木さんに山下のことを尋ねました。
「鈴木さん、山下君のことどう思ってる?病気のこと気になる?心配?」
「ええ、心配しています。早く仕事に復帰してほしいです」
「仕事の同僚としてではなく、個人的にどう思ってる?」
「頑張り屋さんだし、尊敬もしています」
「個人的にお付き合いしたいと思ったことはある?」
「お仕事の先輩ですし、お付き合いしたいなんて考えたことはありません。優しいいい人だとは思っていますが」
「以前から山下君を見てて感じているんだけれど、鈴木さんのことが好きみたいだよ。お付き合いしてみたらどう」
「わたしも感じていました。山下さん、鈴木さんのことが好きなんじゃないかと」いずみが言いました。
「物事は起こるべくして起こり、わたしたち自身も変わるべくして変わっていくものですよ。ですから愛は常に過程であることを、いつも忘れないでください。そして、その形が変わっていくことを祝福しましょう」いずみはさらに話を続けて言いました。
「そうした変化に抵抗していると、自分が人間として小さくなってしまいますよ。変化を祝福できるということは、自分がいままでよりも大きくなることに対して心を開いているということです。それができれば、わたしたちは死ぬまで成長し続けることができるにちがいありません。激しく燃え上がるだけが、愛の姿ではありません。一方で愛とは、深く理解するということでもあるのです。それゆえ、鈴木さんの愛情は、悲しみや危機が訪れたときに、本物かどうかが試されることになります。本当の愛は、そのような試練を経て育っていくものだからです。山下さんががんになったのは試練です.今が試されるときです。年下のわたしがこんなことを言ってもうしわけありません」
「わたしは同僚の先輩なので世間体を気にしていました」
「世間に振り回されたら悲劇だよ。世間なんて、信用しちゃあだめだよ。それで、世間を信用しなくなると、われわれは、自由を獲得できるんだよ。奴隷をやめて自由人になれる。自由という言葉、いろいろな意味に使われるが、ここでは自分に由るという意味だ。世間の常識に由って判断するのは世間由であって、それだと世間の奴隷だ。世間と違った自分の判断に由るのが自由人だ。ということは、自由人は世間に楯突いている人間だ。世間の中をすいすいと泳いでいる人間が自由人に見られそうだが、真の自由人ではない。真の自由人は世間からちょっと距離をおいて、世間を信用せず、むしろ世間を軽蔑し、軽蔑することによって世間に楯突いてる人間だ。鈴木さんも、ぜひ自由人にあなりください。簡単になれますよ。まず、自分が弱者だと自覚すればいい。そうすると、どうせ世間は弱者に味方してくれるわけがないから、世間を信用しなくなる。そうすると、世間の常識に対して眉唾になる。そうすると、自分の独自の思想・哲学が持てるようになる。思想・哲学といったって、そんなに大袈裟なものではない。と心の中で呟く、それだけのことだ。それだけであなたは自由人だ。簡単でしょう」
「簡単ではありません。先生のお話は難しすぎますよ。鈴木さん。感じていることは言葉に出してはっきり言うことです。そうすれば自分の感情の流れを正しくつかみ、はっきり意識することにもつながります。さらに、自分の感情の流れを山下さんに対して明らかにすることは、自分を大切にし、同時にふたりの絆を強めるのにも役立ちます。お互いの感情を正直に明らかにしあうことによって、お互いの親密度も深まることになります。恐れずに、心のうちは口に出して伝え、愛する人が鈴木さんの心の中に入れるようにしてあげてください」
「明日、私といずみさんは先に帰るから、鈴木さんは山下君のそばにいてあげてくださいね」
こうして山下と鈴木の恋愛は始まりました。
続く