「ゆかりさんのお父さんが最後に会った不倫相手の女性は、山梨の人だってわかったよ。明日、泊まりがけで会いに行くけど一緒に行く?」
「はい、連れてってください。わたしが一緒にいた方が女性同士話しやすいとと思います。」
「出会い系サイトで知り合った関係らしく、亡くなったことも知らなかったみたいなんだよ。ゆかりさんには、その女性のことはまだ話してない。いずみはゆかりさんとは仲良かったの?何でも話せる仲だったの?」
「ゆかりちゃんはお店に入ってきたばかりだったので友人という関係ではありませんでした。それにわたしは友人は作らない主義なんです。」
「本当の友情、本当の友だちこそがほしいのだけれど、いない、と悩んでいる人が多いみたいだね。でも、いなければいないでいい、見つかるまでは一人でいいと、なぜ思えるのだろうか?」
「一人でいることに耐えられない、自分の孤独に耐えられないということですね。」
「でも、自分の孤独に耐えられない人が、その孤独に耐えられないために求めるような友だちは、やっぱり本当の友だち、本当の友情じゃないんだ。本当の友情というのは、自分の孤独に耐えられる者同士の間でなければ、生まれるものでは決してないんだ。なぜだと思う?」
「自分の孤独に耐えられるということは、自分で自分を認めることができる、自分を愛することができるということだからじゃないでしょうか。」
「そうなんだよ、孤独を愛することができるということは、自分を愛することができるということなんだ。そして、自分を愛することができない人に、どうして他人を愛することができるだろう。一見それは他人を愛しているように見えても、じつは自分を愛してくれる他人を求めているだけで、その人そのものを愛しているわけでは本当はない。愛してくれるなら愛してあげるなんて計算が、愛であるわけがないとわかるね。」
「わたし、先生がいるから孤独じゃないですけど、孤独というものはいいものだと思います。友情もいいけど、孤独というのも本当にいいです。今は孤独というと嫌なもの、逃避か引きこもりとしか思われていませんけれど、それはその人が自分を愛する仕方を知らないからだと思います。自分を愛する、つまり自分で自分を味わう仕方を覚えると、その面白さは、つまらない友だちといることなんかより、はるかに面白いですよね。」
「そう、人生の大事なことについて、心ゆくまで考えることができるからね。」
「そんなふうに自分を愛し、孤独を味わえる者同士が、先生とわたしたちのように、幸運にも出会えることができたなら、そこに生まれる愛情こそが素晴らしいです。お互いにそれまで一人で考え、考え深めてきた大事なことがらについて、語り合い、確認し合うことで、いっそう考えを深めてゆくことができるんですもの。」
「やっぱりいずみは私と対等に語り合える相手だと思う。むろん全然語り合わなくたってかまない。同じものを見ているという信頼がある。」
「先生にそう言われることがとっても幸せです。」
「私にはいずみに話せない自分で反省しなければならないことがたくさんあるんだ。自己批判しなければならないことがあるんだ。改善していくよ。いずみを大事にするよ。」本当に私はそう反省しました。
「山梨から帰ったらゆかりさんに事務所にもう一度来てもらおう。保険会社との話も順調にいっている。」
「先生、明日は早く出るのですか?宿泊先はもうお決めになっているのですか?」
「早くに出かけよう。富士吉田近くのホテルを予約してくれる?」
「はい、わかりました。これから予約しますね。」
私はいずみの新たな一面を見たように感じました。
続く