午前中にヤクザに脅迫されているという相談者が来ました。なんでも、衣服や偽ブランド品を送りつけて高額な金品を請求していることの事でした。その他にも架空のホットヨガ教室の開業資金で五百万円支払ってしまったという相談内容でした。私はとりあえずその商品を事務所に持ってきなさい、こちらから送り返す手続きをして、内容証明を送りつけるからと指示しました。相談者は安心して帰って行きました。
いずみは側で相談者の話を聞いていていました。
「ヤクザって恐いです。悪いことを平気でするんですもの。」いずみは相談者が気の毒だと言いました。
「悪い事を平気でする人は、悪いことを悪いことだと知らないということだ。悪いことは、自分にとって悪いことだと知らないからこそ、悪いことをするわけだ。それを食べれば病気になることを知っていて、わざわざ食べる人はいないように、自分に悪いと悪いと知っているなら、わざわざする人はいないはずだ。だから、悪いことをする人は、それは本当は悪いことだと知らずに、よいことだと間違えて悪いことをしているということなんだよ。いや、悪いと知っているからこそ、それをしてみたくなるのだという人もいるかもしれない。しかし、悪いと本当に知っているなら、悪いことをするはずがない。ちょっと悪ぶってみたいというだけのことだろう。やっぱりその人もそれを悪いとは本当は知らないということなんだ。」
「そんな。悪い人をそのままほっといて自由にさせていてもいいんですか?」
「自由というのは、それを自由だと主張することによって自由ではなくなるんだ。私は自由だと他人に対して主張するということは、その人が不自由であるからに他ならないね。つまり、私にはしたいことをする自由があるのに、したいことをする自由がないのだ、と。よいことをしたいのなら自由だし、悪いことをしたいのなら自由でない。その善悪の判断を自分ですることをしないで、他人にその判断を求めているんだ。他人に自分の自由を求めているのだから、他人に与えられるような自由が、自分の自由であるわけがないじゃないか。自由というのは、他人や社会に求めるものではなくて、自分で気がつくものなんだ。自分は自分のしたいことをしていい、よいことをしても悪いことをしても何をしてもいい、何をしてもいいのだから何をするかの判断は完全に自分の自由だと、こう気がつくことなんだ。」
「なんだか難しいですけど、善悪は自分で判断すればいいんですね。で、実際にはどうすればいいんですか?」
「自分で判断する以外に善悪なんかないんだから、そんなこと他人に聞いてちゃダメなんだ。他人にこうするべし、こうするべからずなんて言われることは一切無視して、いずみがよいと判断したことを為し、悪いと判断したことを為さないだけだよ。それでもわからない人には法律で裁き、法律で擁護するのさ。」
「わたしも法律を勉強させていただいてつくづく奥が深いと感じています。難しいお話を聞いていたらお腹がすいちゃいました。先生、お昼です。」
「やはり本人が知ろう。わかろうとする事なしには、どんな本も勉強も理念も役には立たないよ。自分自身を知ること、自分一人で自分の中の、その当たり前の真実に気付くことだよ。」
「先生がいつか仰っていただいた、いずみは私と対等に語り合える相手だ、というわたしになれるようもっと深く考えます。」
「うん、そうだよ。ようやく語り相手として現れたいずみを失いたくない。わかる人には必ずわかる。おそらくいずみは、これまでの人生において、こういったことについて、誰かと語り合ったこともなかっただろう。私を理解してくれてこの事務所私のところに来てくれたのだろうと思っているよ。」
「はい、最後まで責任を持ちます!」
「お腹すいちゃったね、外に食べに行こう。」
私といずみはいつものホテルのレストランに行きました。
続く