K子のことを考えると、なんだか可哀そうでたまらなくなりました。可哀そうになったのは、旦那が不倫していることではなくて、K子が生活費のために働いていることでした。K子の給料は二十万そこらでしょう。それに子供二人を養う学費だって馬鹿にならないでしょう。いくら手元に残るのかを考えると不憫でなりませんでした。私はご主人のことは何も知りません。知っているのはK子より二十二歳年上だということだけです。髪結いの亭主といいますが、K子が生活に追われて働いていることを思うと、理由のないいらだちがふたたび怒りの念に変わってきました。
K子からメール連絡があったのは、フィリピンパブに行って一週間後でした。それは、浮気封じのお寺があるから一緒に行って欲しいという内容でした。浮気している私たちが一緒に行くのはおかしな話でしたが、誰かがそばにいてくれないと怖いのよ。だから兄が付き添って来たということにして、と言いました。渋々私は了解しました。
K子の仕事が休みの時に行くことになりました。場所は千葉県の房総半島でした。そこは墓が無く小さな堂でした。入り口に、呼び鈴を押してください、と貼り紙がしてありました。奥から七十歳ぐらいの小柄な男がでてきました。K子が「夫の浮気封じのお願いに兄と東京から来ました。」と言うと男は半紙と筆をK子に渡し「ここにあなたと旦那さんの生年月日と名前を書いて、下着を脱いで上がって待ちなさい」とぶっきらぼうに言いました。「下着?」とK子が聞き返すと「そうじゃ、あんたのパンツを脱ぐのじゃ。浮気封じに来たのじゃろう!」と怒ったように言いました。その言葉に、私は吐き気に似た嫌悪感がかすめるのを意識しました。K子は言われるままにスカートの下からパンティーを脱ぎ、恐る恐る立っていると「脱いだら、わしにかしなさい」と言うのでK子は半紙と自分のパンティーを男に渡しました。すると男はパンティーを拝むように自分の額につけ奥に入って行きました。私はK子に「なんだか、怪しくない?」と訊きました。「なんだか恐くなってきちゃった」とK子はぞっと身をすくませるように言いました。
私たちはどれくらい待たされていたでしょうか。それはそれは長く感じました。
「上がってきなさーい」と男は大声で言うので私たちは中に入りました。愛染明王らしき仏さんの前で男はお経を唱えていました。般若心経だけは私でも解りましたが、あとは何を言っているのか解りませんでした。男は「よーし!」と言うと振り返りました。そしてK子に「いいか、よーく聞きなさい。この下着を旦那さんの布団の下にわからぬように入れるのじゃ。期間は一ヶ月。決して知られたらだめじゃぞ。」と念を押すように言うかと思うと「祈祷料は、ここの賽銭箱に入れて手を合わせて帰りなさい」と言って奥に入って行きました。私は言われるままに一万円札を賽銭箱に入れました。
私たちは何とも言いようのない気持ちで車に乗りました。「お兄ちゃん、下がすうすうするよ、ノーパンだからさっ」とK子は恥ずかしそうに言いました。
あの坊さん、インチキのただの変態じじいだ、とK子に言いそうになりましたが止めて車を東京へと走らせました。
続く