K子は美容師でした。ですから休みの日も家事に追われて休める日が無いと言っていました。学校行事、例えばPTAの歓送迎会、忘年会、新年会などがあるときではないと会える日が無いと言い、K子はいいようのない淋しさにとざされていました。私も言うに言われぬ淋しさがひしと胸に感じました。「行事があるときは、必ずあってね。お兄ちゃん」と言いました。Y子とT子とも暫く会っていませんでしたがメールのやりとりはほとんど毎日ありました。T子の体調もすっかり回復したと連絡があり、胸を塞いでいた不安や疑惧がようやく薄れ、ほっと息をつくと共に自分でも眉の晴れるのが感じられました。
しかし、ある日、私はT子の夢をみました。それはT子が小さな赤ちゃんを抱いている夢でした。それも泣きもせず動きもせず冷たくなった赤ちゃんを抱いてT子が「この子、死んでるのよ」と言って泣いてる夢でした。私は目が覚めて、突然激しい怖れを感じました。それが何を意味するのか判りませんでしたが、いままでまったく忘れていた過去の情景が、一瞬だけ裂け目を見せて覗いたような、恐怖でした。それは自分が無限に深い井戸へ落下してゆくつかの間の思いでした。この悪夢のような忌まわしい恐怖が、そのまま私の現実であることを、私はついに認めざるを得なかったのです。私は、堕ろしてしまった赤ちゃんを供養してあげなければという思いが胸を駆け巡り、さっそくT子に夢のことは話さず連絡しました。T子は「私も気になっていたのよ。だって水子は供養しないと生きてる子供に災いがあるって聞いたことがあるの。お願い、一緒に行って。」と私に賛成しました。私は水子供養をしてくれる寺を探しました。王子に水子供養をしてくれる寺があるのが判りました。次の日、私たちは早速にその寺に行きました。寺にはいくつものお地蔵さまがあり、お花やキューピーさんの人形、お菓子がお供えしてあり、風車がからからと風に回って音をたてていました。私はあの不吉な夢のことを思い出しました。その夢への、心の負い目というものが語られていて、かすかな悲哀の情を漂わせていました。私たちは供養の申し込みをお願いしました。寺の僧侶は塔婆に私の姓を書き、その下に胎児供養と書きました。お経は短いものでした。僧侶は墓地に観世音菩薩がありますからそこへ行ってお詣りしてください。と言いました。そこにも、お人形やお菓子やお花がいっぱい供えられていました。私たちも、卒塔婆とお花を供え手を合わせました。T子が小さな声で「ごめんね」というのが聞こえました。私も同じように「ごめんね」と言いました。私たちは、ひどくやすらかな心持ちになって、耳の底にのこっている風車のカラカラという音を聞きながらもう一度手を合わせました。なにか胸がつまったような思いで、卒塔婆に書かれた名を読むともなく私とT子はみていました。
続く