T子は、既に産婦人科の病院に行ってきたと言いました。妊娠三ヶ月で来週、手術すると言いました。あれほど妊娠には気をつけていたのにどうしてと思いました。ただ、思い当たるふしがあったのです。相模湖に行った日のことでした。T子は「今日は生理が終わったばかりだから、中で出しても大丈夫よ」と言った時のことです。あの時、私がT子の局所を愛撫したとき生理特有の血液の臭いがしなかったのです。でも私はT子の言葉を信じて中だししました。それがこのような結果になったのだと確信しました。「僕も病院に行って先生に会うからね」と約束しました。人間の一度犯した罪は、どこまでまつわってくるのかと思うと、おもりのように心にこびりついている罪の暗さが、やりきれないほど恐ろしかったのです。自己が自己に自然に因果を発展させながら、その因果の重みを背中に背負って、高い絶壁の端まで押し出されたような心持ちでした。T子は意外にも明るく振る舞っていました。そんなT子を思うと、ふと、冬の冷気に似たものが私の背筋を走りました。思想と名付けるには、あまりにも形のなさすぎる、しかし感情と呼ぶには、厚味のありすぎる、強いて例えれば、眼に見えない手によってナイフを胸元につきつけられたような戦慄感でした。T子に対して申し訳ない気持ちでいっぱしでした。


手術の当日、私は菓子折と現金五万円を持って病院に入りました。看護師にそれを渡すと看護師は「大丈夫ですよ。ご主人さまですか?今、処置していますから」と意外にもたいしたことのない手慣れた様子でした。私は産婦人科の病院の処置室と書かれた部屋を遠巻きにして眺めながら、暗い気持ちに落ち込んでいくのを防ぐことができませんでした。時間が長く長く感じました。T子が処置室から出てきました。T子は私に気付くなり「待っててくれたのね。割に平気だったよ」と言いました。しかし、暗い気持ちがしているに違いない、すこしでも以前のことを思うと、やはり、暗い、涙ぐましい心もちにならないわけにいけませんでした。私が会計を済ますとT子は「ごめんね」と呟きました。私も「ごめんねT子」と頭を下げました。私の不安は消え去ることはありませんでした。底知れない寂しさと不安に苦しめられるのでした。同時に、何か強い絆で私たちは結ばれたような気がしました。

続く